世間遺産はどうして始まったか…

 時は2004年10月 常滑市制50周年のとき
町づくりを援助する「地域交流センター」という組織が東京にありました。常滑の地域を紹介して欲しいということでスタッフが2名来訪することとなり、常滑の地域を案内することになりました。そのときのできごとです。
常滑の名所「焼き物散歩道」を案内しようと向かって行ったところ、そこへ行く前の普通の民家の前でスタッフの一人の若い女性が 「この家すごいですねぇ、石の門構えと石畳」「この路地、とっても雰囲気がありますよ」…を連発するのです。東京の人からみると地域の何気ない風景がとても貴重なものに見えるとのこと。東京からきた2人に「ここは遺産がいっぱいありますよ」と言われました。 そのときです!女性が「世間が認める遺産を町で探したら…。これは世間遺産ですよ」
【世間遺産】という言葉が始めて飛び出した一瞬でした。

熊野古道が世界遺産になったとき                      [家の地下道 昔のトンネル?]
世界遺産をもじった【世間遺産】という言葉を調べたら、ちょうど同じ時期に和歌山のあるNPOたんぽぽが世間遺産という言葉を使ってイベントを行おうとしていることがわかりました。そこに連絡を取ると「熊野古道は多くの市町に関わっていて、世界遺産で古道は注目されたがそれを通過する市や町や人は注目されていない。この言葉で私たちの生活までも見直すことになればとイベントを組もうとしています。この趣旨を理解できる方々ならば、いっしょにこの言葉、使ってもらってかまいません。いっしょに協力し合いましょう」という返事をいただきました。

世界遺産はユネスコが決めるが世間遺産は市民が決める
さっそく常滑でも世間遺産を探す活動が始まりました。まだまだ、隠れている宝に地域に住む自分たちが気づいていない。それらを発掘しなければ…
2005年2月…当時は「まちの駅 とこなめ」という組織が一般の市民の方々に次のように呼びかけ、世間遺産の発掘を行いました。「まちの駅」というのは町の中にも駅が必要で町の情報交換ができる場所が必要と考える民間の拠点です。地域交流センターが「道の駅」に足りないものとして提唱する町再生の活動でした。

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いつもと変わらない道、いつもと変わらない町並み。いつまでも変わらないと思っていた景色や建物、古い看板や壁のシミ。この日常の何気ない「宝物」は、そのままではいつの間にか消えてなくなってしまうかもしれない。けれど、後世になると思わぬ価値を発するものがそこにある…
 思わず人に伝えたくなる 人、もの、風景
 後世まで残したいと思う 人、もの、風景
 子供達に残しておきたい 人、もの、風景
それらは後世になると本当の「意味や価値」を持つようになるかもしれない。
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そうです。これが世間遺産の始まりなのです。
2005年 5月  第1回世間遺産 写真展
2006年10月 第2回世間遺産 写真展
2007年10月 第3回世間遺産 写真展  そのようにイベントを積み重ねていきました。

第3回はINAXライブミュージアムでの世間遺産の展示。そのとき、INAXの館長が写真家の藤田洋三氏に世間遺産のことを伝えており、それを聞いた藤田氏は「これは面白い…」と言って全国の世間遺産なるものを発掘し「世間遺産放浪記」という本を出版されました。
その本のあとがきにあるエピソード

2005年、稲作の日本の原風景である藁塚の風景を「藁塚放浪記」として出版直後、常滑のINAXの館長から「この藁塚の写真は世間遺産ですね」というお言葉をいただきました。常滑は世間遺産の町として全国にアピールしようとしているとのこと。私はこの言葉を聞いて、これこそ天の声と思いました。
全国の遺産をこの「世間遺産放浪記」の本にして刊行したところ、版を重ねる評判を呼んでいきました。

世間遺産をパクられた(笑)とは思いましたが、このことは西日本新聞に取り上げられ、世間遺産が九州遺産という言葉となって広がっていきました。

2012年ケーブルテレビCCNCが「あなたの世間遺産」をさがしはじめ、常滑の各地域に世間遺産を発掘を呼びかけて、番組にしていきました。
2015年2月22日 常滑市が市制60周年事業の一つとして、世間遺産発表会を開催しました。

以上の経緯を経て「世間遺産」という言葉がゆっくりと歩き出して、広がっていったのです。世界遺産はユネスコが決定しますが、「世間遺産」は日本の市民が、そして私たち自身が探し出して決めることができる大切な宝物・遺産です。

常滑の代表的世間遺産の数々

   いわゆる名所旧跡・有名ではないが、思わず人に話してみたくなる、後世に残しておきたい「人・もの・風景」
焼き物の町の通路。一番下は大きな土管、その上に石畳が、そしてその上にアスファルト。かつて、犬が荷車を引いて上った坂。犬たちのためにこのような道に!
焼物の町常滑では工場の2階と2階をつなぐ空中回廊は珍しくない。重い土管を運ぶのに2階から2階へ移動できるのは当時はありがたかった。